
お城や歴史など難しいことはここではいわず、とにかく、な~んか昔から城下町が好きで、訪れたくて、勝手に「城下まちすと」とネーミングして、訪れたお城と城下町を散策して、その趣をゆらりとお伝えしていけたらと思っています。
新潟県村上市。約半世紀ぶりの訪問ではないかしら・・・・。もしかしたら初めて?それくらい遠い記憶にあるような、ないような。
亡き母の出身地・中条の近くである村上市は、ここ数年、有名な鮭だけでなく、それとともに城下町をPRしているようで、雑誌などで目につく頻度が増えたように感じてました。(私だけか・・?)
小さい頃は、年末になると、村上の鮭(塩引き鮭)が家に届き、大晦日とお正月料理、そして雑煮の具にも入り、必ず食べていました。

ワクワクを実感する
今回の第1の目的は村上城址。村上城は、標高135mの臥牛山に築かれた城で、築城年代は不明だそうですが、戦国時代 には、小泉荘の国人領主本庄氏の本拠地として、永禄11年(1568年)上杉謙信との籠城戦など、幾たびもの戦いが繰り広げらた場所だそうです。
江戸時代に入ると、村上氏、堀氏、松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後の中心拠点として整備されました。その後も、たびたび城主が交代しますが、享保5年(1720年)以後は内藤氏が代々城主を努め、明治維新を迎えます。
天守は残念ながら、江戸時代の落雷により火災にあい、その後建設されていないため存在しませんが、見事な石垣がたくさん残っています。村上城址は、城郭協会が認定する続100名城に選ばれていますが、これだけ当時の石垣が点々と残っているので、続100名城でなく、100名城に登録されてもよかったと思うのは私だけでしょうか・・・・。

今回は、村上市観光ガイドさんを事前に予約し、案内いただきました。ガイドさんと話しながら市内を巡るのは大好きです。
平成12年からは、破損がみられる臥牛山上の石垣を積み直す修理工事が開始され、現在も継続して工事が行なわれていて、最上地方から石を運でいるとのこと。村上城は平山城であるので、石をある程度の高さまであげないといけません。
ガイドさんが、「これは何かわかりますか?」とひと昔の鉄工所にあるシンプルな機械のようなものをさして尋ねてきました。私は、はて?とわかりませんでしたが、現在も、その機械をつかって、地上から石を山に運んでいるとのこと。そういえば、あちこちに、ブルーシートに覆われた石垣が置かれているのに気づくのでした。
これはガイドさんがいないと見過ごしてしまっていたことだから、ガイドさんと歩くといいなぁ、と改めて思いました。

村上城址の石垣!
本丸跡からは村上市が見渡せます。
目の前には日本海、遠く淡島が見えます。両脇には山もあり、鮎釣りで有名な三面川(みおもてがわ)が流れています。しかし、先日の大雨で川が濁り、鮎釣りができないとのことでした。
これらの景色をみていると、海あり、山あり、川ありで、村上城は自然の要塞を持っていたんだ、というのがわかります。
それから、城址といっても、ちゃんと石垣が残っている、ということはすごいことです。それはやっぱり貴重~。
石垣が残っていることで、当時の人への想いを馳せたいと、そこを訪れたい、と思う人が必ずいるから。

おしゃぎり
村上市は、国の重要無形民俗文化財に指定された「村上祭りの屋台行事」があります。
寛永10(1633)年に藩主・堀直竒[ほり なおより]が今の地に西奈彌羽黒神社[せなみはぐろじんじゃ]社殿を造営し、臥牛山の元羽黒から御遷宮した時に遷宮祭を執行したのが起こりとされています。
各町内ごとに屋台(山車)である「おしゃぎり」を持っており、それらがお祭りの際巡回します。
一番古いものは1760年制作だそう。古い~!
現在修理が必要なおしゃぎりがあるとのことですが、その町内の世帯が40世帯もないなか、修理代は一軒の家が建つほどらしく、簡単には修理ができない状況にあるというお話も聞ききました。

昔ながらのたたずまいが感じられる家屋もあります。ガイドさん曰く、古い日本家屋は市内には40数件あるそうですが、それらを一般の方々に見せてくれる家がほとんどない中、お菓子屋さんが見せて下さる、ということで、ガイドさんがいることで玄関から少し奥に入って、古き家屋の様子をみることができました。
城下町は風情があっていいわぁ、と旅人は癒されにいくけれど、伝統を守ることは容易な事ではない。伝統を継承されている方々の想いとかけてきた労力と費用は並々ならぬものである、ということも改めて感じました。でも、旅人は、古き伝統を目でみて、手でふれて、心で感じたいがために、その地に行くのですよね。
だからこそ、伝統を守りつづけている方々に感謝、感謝です!
