
新発田市も、約半世紀ぶりの訪問じゃないかしら・・・。
また行こう、また来られた!というのは、必ずその時が良きタイミングだと信じているので、今来られたことに
感謝です!
今、新発田になぜ興味を持ったか。それは新発田城があるからです。しかし、若い頃は、その存在を知りませんでした。城郭検定の勉強をして知ったこと、それは必ずといっていいほど、新発田城は出題されているということ。
それはなぜか! それは、全国でも唯一無二のT字形の屋根と三匹の鯱を持っている三階櫓があるからです。 なぜT字形をつくったのかは、当時関わった職人が、門外不出としていたため、謎のまま、とガイドさんから聞きました。

新発田城
また、ガイドさん曰く、新発田城は城郭協会が認定した百名城のひとつであり、多くの人がその三匹の鯱を見たい、ということでこられているそう。私もその一人です~。
新発田城は、敷地の三分の二が自衛隊地です。そのため、観光客が見られる敷地は限られていますが、重要文化財である表門(1686頃)と旧二の丸隅櫓(1689頃)があり、表門の二階は入ることができます。ここは映画「峠」のロケ地にもなった所です。
ガイドさんは、ロケをしていた役所広司さん(河井継之助役)も見られたそうで、どの人に対しても礼儀正しい方でしたよ~、とおっしゃってました。

新発田市は、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の中で一番の剣豪とされる堀部安兵衛の生誕地であり、新発田城の表門前のお休処には、安兵衛の銅像があり、新発田城から少し離れたところには、安兵衛のために建立された石塔や小さい神社がありました。堀部安兵衛ファンも新発田に来られているそうです。
新発田市は、江戸時代、溝口家(尾張出身)が270年治めていました。周りは、伊達氏、上杉氏といった大大名である中、外様大名でありながら、所替え無しで270年続いた藩は、なかなかありません。
その溝口氏の下屋敷であった清水園は国の指定名勝。
この庭園は、近江八景を模した池泉回遊式庭園で、景色がとても綺麗で、何よりも落ち着きます。
茶室も5つあります。この庭園は、明治以降は、色々な方の手に写り、一時は料亭に使われていた時代もあったそうです。それを買い取り、手にしたのが新潟県では有名な当時の豪商、伊藤文吉。 そして、昭和20年代に今の姿に修復したのが、京都銀閣寺の石組みを発見した田中泰阿弥。
といっても、恥ずかしながら私は田中泰阿弥を知らず、初めて、そのような庭師がいたのか、と知りました。孤高の「庭匠」といわれた柏崎出身の庭師です。
当時、京都から大小様々な石を何百と運ばせたということにも驚きました。

