
地元では有名なのでしょうが、その方の存在を知らず、その土地に行ったことで知り、え~そんな方がいらしたのか!とちょっと心が動いた人をプチ紹介。(そんな人も知らんかったのか~と言わず、大目にみてくださいませ)
田中泰阿弥(たいあみ)(1898-1978)
銀閣寺の清泉の石組の発掘復元。孤高の「庭匠」とよばれた。本名・田中泰治。

田中泰阿弥
新発田市の清水園(藩主溝口家の下屋敷と庭園)を訪れた時に、この庭園を今の姿に修復した庭師として知りました!そして、その方が同じ新潟県の柏崎氏出身である、ということで、さらに親近感を持ちました!
清水園を訪れた時は8月最初で気温も高い日でしたが、訪問者も少なく、心地よい風が吹いていたこともあり、とても心が落ち着き、リラックスできる場所だなぁ、と感じていました。
そして、何よりも庭園にある緑がまぶしく、夏であるけど秋を感じさせる赤い葉っぱがところどころに見えるのもまた素敵で、1日眺めていても飽きない景色でした。
とてもとても新発田藩が正論を言っても、かなう相手ではありません。
そこに、名乗り出た男が井上久助。当時の藩主は三代溝口宣直。父の代から恩義ある藩主溝口家の為に、新発田藩の為に自分が矢面に立つ、という覚悟を決めたのでしょうか。

日本文化の美しさの継承
清水園の庭園の石畳みも凝っている、ということをガイドさんから聞きました。
数歩ごとに大きな石が埋め込まれていたり、庭園を楽しめるにはどこで足をとめたらよいか、など場所によって石の置き方が工夫されていたり(多くの庭園がそうですが)、石の多くを京都から運んできたということも聞きました。どうやって運んできたんだろう~。
あの武将茶人、古田織部が使っていたという当時の石塔も京都から運んできたとのことです。
天龍寺はじめ京都の庭園を多数修復されていることを知り、今まで訪れてことのある美しい寺院などの庭園は、泰阿弥さんのおかげ(それに携わってこられた方々も含め)で、感動しました!
京都だけでなく、全国各地の寺院や名園を手掛けられた、とてつもなく、日本文化を継承し、支え、気づいてこられた方であるのです!
今、日本人だけでなく多くの世界の人たちが日本文化の美しさに触れることができています!ほんと、感謝感謝です!
精神的にも目にもよい波動を与えてくれた清水園を修復された、孤高の「庭匠」田中泰阿弥さんを知れたことも、よいお土産となりました。

